88箇所の「札所」を巡る四国遍路をすべて回ると得られるものとは!?
全長1400km、88箇所の「札所」を巡る四国遍路をすべて、完璧に回ること(結願けちがん)が出来れば、果たしてどんなに良いことが起きるのでしょうか?
巡礼する人の目的は何でもOK!?
自分と向き合う、親族の供養、病気の治癒、弘法大師に近づく!?巡礼を楽しむなど、巡礼する目的は巡礼する人それぞれです。とにかく無性にお遍路がしたい、何かにすがりたくなったら、お遍路をしてみてはいかがでしょうか?
遍路の種類
歩き遍路 バイク遍路 車遍路 自転車遍路と様々な遍路がありますが、途中で山道を通ったりするので、車遍路で、すべての88箇所を渡るのは厳しそうです。ただの観光目的の遍路なら、バイク、車、自転車でも良いですが、やはりお遍路は自分の足のみで巡礼するからこそ意味あるものになります。
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歩き遍路のすすめる理由
お遍路でよくみかける白い服装をまとう白装束姿!あれは、死出衣装(あの世へ行く衣装)でもあり、いつ厳しい四国遍路の道中に倒れて死んでも良いように、死出衣装を身にまとい、「札所」を巡る歴史があるのだから、お遍路は、歩き遍路にしましょう!
白装束姿の意味を考えると、白装束姿で、バイク遍路 車遍路 自転車遍路ってちょっと変だというのが分かりますよね?
お遍路は一気に88箇所の「札所」を巡った方が良いかどうか
一気に88箇所の「札所」を巡ったほうが良いかどうかは、巡礼者(あなた)自身の目的により、変わってきます。時間的・金銭的に余裕があり、自分と向き合いたい人なら40日~50日かけて、一気に「札所」を巡るのもありです。
会社員や学生で、土日だけの区切り打ちで、今週は、4~5番札を、来週は6~7番札をというやり方もありですよ。自分に合ったやり方で「札所」をすべて回りきりましょう。
札所を巡礼することを打つといい、1番札所から順番に廻るのが「順打ち」。88番札所から逆に廻るのが「逆打ち」(逆打ちは順打ちを3回廻るのと同じご利益とか)。全ての霊場を一編に打ちとおすのが「通し打ち」、何回かに分けて打つのが「区切り打ち」と呼びます。 また、ひとつの県を一国として廻る「一国参り」があります。
引用元:お遍路さん基礎知識 その1
白装束姿になったほうが良い?お遍路するときの服装について
ぜひ、お遍路するときは、白衣(びゃくえ・はくえ)姿で菅笠(すげがさ)をかぶり、金剛杖を手に持ち、お遍路しましょう。この服装で回るべき理由、それは、地元の人の「お接待」を受けやすくするため。
四国遍路の「お接待」とは
お遍路に対して、地元民は、食べ物や飲み物を無償で提供してくれます。
この「お接待」を受けることで、飲食代を安く済ますために、白装束姿の方が良いという訳ではありませんよ。足腰、体中が疲弊している中で、地元民の心温かな「お接待」を受けることで、人とのつながり大切さ、人一人では生きていけないなど、重要な気づきを体感することが出来るため、ぜひ白装束姿で、「お接待」を受けやすい状況を作りましょうね。
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地元民は、お遍路に対して、お接待をする理由
お遍路は、弘法大師(こうぼうだいし)の代わり。だから、お遍路に対して「お接待」を行う風習が四国には残っているためです。
結願(けちがん)すればどうなるの?
結願(けちがん)とは、88箇所のすべての「札所」まわりきることを言いますが、結願すると結願証明書を有料ですが貰えることができます。結願証明書を受け取れる場所は、八十八番札所の大窪寺で受け取れますよ。
88箇所の「札所」を巡る四国遍路をすべて回ると得られるものとは!?
さて、この記事の本題、一体何だったのでしょうか?結願証明書?それも確かにもらえますが、違いますね。答えは「つながりの回復」です!
作新学院大学教授の福島 明子によると
まずは、自分の体と向き合って、体と心がつながる。地元の方のお接待を受ける中で、地元の方とお遍路さんのつながり、お遍路さん同士のつながり。さらには、自然豊かなお遍路の中を歩く中、町に足を地に着けて歩く中で、山や川や海などの自然とのつながりも感じられる。そういった、様々なつながりを回復することが出来る。
そんななか、今の社会は、成果主義であったり、合理主義であったりする。そのため、「何かが出来たからすばらしい」とか、「何かが出来ないから、もうすこし頑張って」とか、条件の世界ですが、このお遍路では、無条件に受け入れられている。そして、つながりを回復していける
①お遍路は歩くことで、自分体を酷使して、体の限界を感じる(自分の体と向き合う)
②徐々に歩くことに慣れて、余裕が出来る。すると今度は、自分自身の事を考え始める(自分の心と向き合う)
③お遍路の途中に全く見ず知らずの地元民から「お接待」を受けることで、自分の存在を知らされる(自己受容)
①と②で、自分という存在を完全に意識させて、さらに、そのうえで、周りとのつながりで、自分は、コミュニティの中で確実に存在しているし、人一人では、生きていけない。他人との助け合わないと生きていけないことを実感させられる。
そんななかで、全く見ず知らずの地元民から「お接待」を体験することで、心の底からの感謝を感じ、そして、自分も誰か困っている人に恩返しをしたいという気持ちになる。お遍路を終えて、普段の生活に戻ったときに、他人に対して思いやりと親切さが行動になって現れてくる。