水曜日のダウンタウン|PL学園野球部この世の地獄説
放送日:2014年8月6日
プレゼンター:橋本 清(元巨人軍)
説:PL学園野球部この世の地獄説
※以下の内容は、過去の話であって、現在以下にあげる学校で、地獄の学園生活がある訳では、ありませんので、要注意!
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検証方法
プレゼンター橋本 清が、PL学園野球部時代にどんなひどいことがあったかを説明して、判断する。
橋本 清のプレゼン内容です。
PL学園野球部の過酷さ
①各学年1人ずつの3人部屋で寮生活
後輩が先輩のために、共同の部屋の掃除をする。橋本 清は、2年先輩の清原の部屋の掃除をしていた。
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②付き人制度がある
炊事、洗濯、マッサージなど3年生のお世話をする。
食事は、給食センターから出来上がった食事が届き、もしも、しょうが焼きが嫌いな先輩であれば、後輩が肉を洗い、先輩の好きな味付けにしなければいけない!そうでもしないと、皿がフリスビーの様に飛んできます。
③返事は「はい」「いいえ」のみ
しかし、「いいえ」を使うことはない。先輩の言うことは、すべて受け入れなければいけないのですね!でも、どうしても「はい」といえない場合は、「す~」と息を吐きながら言い、誤魔化すそうです!
④部屋では、常に正座
⑤目覚まし時計を鳴らしてはいけない
後輩は、先輩よりも早く起きなければいけないが、目覚まし時計を使って起きると、共同部屋にいる先輩まで目が覚めてしまう。そのため、アナログの時計は、アラームがなる前に、「カチッ」と音がする。
その音で目覚めて、めざましが「ジリジリ」なる前に止めるという生活を送っていた!
徹底した情報管理
疲れきって疲労骨折、また体罰で、怪我をしても、隣接しているPL病院に連れて行かれ、体罰や疲労骨折の情報が、外部に漏れない仕組みになっている!
⑥寮の周りには有刺鉄線が張られている
⑦野球部の教室は地下
そのため、PL学園は、男女共学ではあるが、野球部は、女子との交流は一切なかった。
出川哲郎の武相高校 軟式野球部の過酷さ
正座手上げが過酷。正座手上げとは、正座をして、目を瞑ったまま、両手を挙げたまま、1時間じっとしている。その姿勢で、先輩から「今日、声が出てないんだよ」と言われ「はい」と叫ぶ。
しかし、5分もすると疲れて、手が下がってくる。すると先輩から顔を殴られて、また両手を上げるという繰り返し!
PL学園野球部以外にも過酷な学校情報
古賀稔彦が明かす 世田谷学園柔道部の過酷さ
講道学舎を作った柔道の横地先生は、戦争を経験している。そのため、たとえ結果が良くても、その試合に「命を懸けて」戦っていなかったら、怒られる。
日本一になった試合でも、選手と保護者を集めて、「お前たちは命を懸けてない」「生きるか死ぬかの勝負をしてない」と言うように、1時間説教が続いたそうだ。
酸欠練習
酸欠練習とは、全部の窓を閉め切って、30~40人の部員が練習をして、部屋が酸欠状態になる。この状態で練習を続けることを酸欠練習という。
酸欠練習は、息苦しくなる。そのため、先生の目を盗んで、窓の僅かな隙間に唇を当て、酸素を吸っていたそうだ!
ペナルティワッキーが明かす市立船橋高校サッカー部の過酷さ
永遠ダッシュ
永遠ダッシュとは、試合でうまくいかなかったときに、先生に「走れ」と言われる。すると部員は、100mほどの距離を先生に「終わり」と言われるまで永遠にダッシュし続ける。ワッキーは、最高で、7時間ダッシュし続けたそうだ!
選手の8割は、疲労骨折する始末!しかも練習中は水が飲めないため、雨が降ったらラッキーだったとか!理由は、わざとスライディングして、倒れこみ、水溜りの泥水を飲むことが出来るからだ!
今田耕司が明かす 三重県の山の中にある日生学園第二高校の過酷さ
甘いものを持ち込むことは出来ない。しかし、親からは日用品を送ることは可能なため、親に手紙でお願いして、まくらの中に甘いお菓子を入れてもらい、なんとか、甘いお菓子を食べていたそうだ。
また、月に一回、面会日で親と会えるときに、いちごケーキを持ってきてくれた。でも学校では食べることが出来ないので、山中に隠れて、苺ケーキを食べなければいけない。
もちろん上下関係も厳しく、みんなが寝静まったときに、トイレに呼び出され、こういうところがダメだぞということで、お腹に蹴りを食らったそうだ!
今田は、日生学園第二高校を退学することに
学校生活に限界を感じて、1年生の秋に脱走を決意した今田耕司。
脱走方法
まず、脱走するためには、電車に乗らなければいけない。そのためには、お金が必要だ。
夏の帰省のときに、2,3千お金を親からもらい、寮に戻ったときにお金が持ち込んでいるのがばれないように、パンツの中にお金を入れる。
夜中に、見張りの目を盗み、1階のトイレの窓から脱走。最寄の駅から電車に乗ると地元の人に「また、逃げましたよ」と学校に通報されるので、学校の最寄り駅から乗車ではなく、山を2山越えたところの駅から乗車した。
学校を辞める手続きの為に、一度親と学校へ行くことに。
学校へ行くと先生が「学校続けるって言うまで今からお母さん、僕はこの子を殴ります」と言い、母親を目の前にして、教師は今田を殴り始める。5,6発殴られたところで今田は「続けます」と答えてしまう!
結局、1年の冬休みの帰省したまま、今田は、学校に戻ることはなかったそうだ!
浜田雅功は、日生学園第二高校の副学寮長だった
- 今田からすれば、副学寮長は、雲の上の存在!そんな浜田も学校が辛くて、脱走したことが1度ある。
- また、学内では、テレビを見ることが出来ずに、情報が一切入ってこない。そのため、月に一回坊主にされるときに、新聞を下に引く。その新聞をみて、外部の情報を得ていたという!
- 浜田がいた頃の日生学園第二高校は、遠足、修学旅行一切なかった
- また、浜田は、学校にどうしても行きたくないときは、コップ1杯の醤油を一気飲みして、体温を38度まで上げて、休んだことがあるそうだ!(みなさんは、絶対に真似をしないように。醤油一気のみは、命を落とす危険があります。)
川田利明が明かす足利工大付属高校 レスリング部の過酷さ
スパーリングは、最低でも2時間以上が当たり前。先生が「終わり」というまでやり続けなければいけない。練習が辛過ぎて、川田利明は、学校の屋上から飛び降りようかと考えたほど辛かったそうだ!
しかも、この練習は、元日以外364日行われていた!まさに地獄ですね。
集団で脱走したこともある!
避難した先が、足尾銅山。山にいるヤゴやカエルを捕まえて食べて過ごしていたそうだ。
徳山昌守が明かす 東京朝鮮高校ボクシング部の過酷さ
監督がとにかく怖かった。他の高校へスパーリングしにいったときに、他の生徒がマウスピースを忘れた。監督にそのことがバレると殺されるので、黙ってスパーリング開始。
しかし、すぐ監督にバレ、監督は、リングの外から、生徒がコーナーに寄ったときにパンチをしていた。
試合が終わり、グローブの紐を解いているところを何も言わずに飛び蹴りしたという恐ろしさ!
人間リングも辛かった
リングがない時代、部員たちが手を繋いで、リングを作る。リングに近づくと蹴りやパンチが飛んでくる恐ろしいリングであった。
ACHOUが明かす宝塚音楽学校の地獄
先輩のいうことは、絶対
一回でも怒られると、お風呂に入れない
だからお風呂に入れるのは、32人中5人ほど。
しかし、先輩と会うときはリーゼントでいなければいけないので、お風呂に入ってもすぐに髪をジェルやスプレーで、リーゼントにしていた。
外部もらしとは
過酷な状況を学校外の人にもらす事
怒られるひとつのネタで「外部もらししたでしょ」と怒られるから、普段思っている不満を外部に口にすることが出来ずにストレスが溜まり易い。
宝塚音楽学校に受かってすぐに、自衛隊に3日間実習で行かされたが、全然自衛隊の方が楽だった!
弾丸ジャッキーテキサスが明かす陸上自衛隊レンジャー隊員の過酷さ
レンジャー訓練が大変。レンジャー訓練とは、2人1組を作り、相方(バディ)と3ヶ月間大便のときも常に一緒に生活しなければいけないという。
精神的に大変なレンジャー訓練
訓練の最初にニワトリを渡される。
ニワトニに名前をつけて、ペットのように可愛がるが、訓練の最終日にそのニワトリを自分でさばいて、食べるという訓練。自分が生き残るためにこういった事も必要というのが学べる訓練だという。
検証結果
過酷な学生生活を経て、皆さん今も活躍中です