世界一受けたい授業で紹介された偉人たちの意外なその後 をまとめました
2014年6月7日放送の世界一受けたい授業で、「教科書で学んだ偉人たち驚き!知られざるその後」と題して、偉人たちの意外なその後の人生について放送されました。面白い内容だったのでまとめてみました。
発明王 平賀源内のその後
起電機や寒暖計をつくって人々を驚かせた平賀源内。そんな平賀源内は、晩年には、殺人犯になります!ある町人とお酒を飲み交わしているときに、平賀源内の横においてあった大切な屋敷の設計図がなくなってしまった。その町人に盗まれたと勘違いし、喧嘩になり、町人を殺してしまった!
本能寺のその後
織田信長が死んだときも含めて、5回火事になりました。本能寺の能という感じの右側「ヒ」が縁起が悪いということで、「ヒ」の部分を火が去ってほしいという願いをこめて、「去」という字に変えたようです!
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歌人 小野小町のその後
歴史上、優れた歌人(六歌仙)の1人であった小野小町。多くの人からのプロポーズを断り続けた小野小町は、その後、ホームレスになる!ホームレスなるきっかけは、結婚相手の漁師の旦那や息子に先立たれて、家も収入もなくなり、街中を徘徊するホームレスになりました。
平安貴族 藤原道長のその後
30年間にわたり国の権力を握っていた大物政治家です。そんな彼のその後は、なんと糖尿病になりました。記録に残っているなかでは、日本人初の糖尿病患者が藤原道長なのです。運動もあまりせず、贅沢な食生活をしていたのでしょうか!?
歌人 吉田兼好のその後
吉田兼好は、あの有名な「随筆 徒然草」の著者です。そんな彼のその後は、なんと武将 高 師直(こうの もろなお)のスタイリストになりました!年末・年始に高 師直が宮廷に行くときの服装を選んでいました!それだけではなく、文章を書くのが得意な吉田兼好は、高 師直のラブレターなど代筆(ゴーストライター!?)も行っていたそうだ!
徳川 家康のその後
江戸幕府の礎を築いた徳川家康は、関ヶ原の戦いで勝利したその後、度が過ぎた薬オタクになりました。主治医からもらっていた薬も自分のオリジナルの薬を作り、飲むようになるほどの薬オタクに。そのためか、江戸時代の平均寿命は、50歳だったのに、徳川家康は、75歳まで生きました。
フランシスコ・ザビエルのその後
鹿児島で、キリスト教を日本に伝えた人ですが、彼のその後どうなったのか?ミイラになりました!日本によった後、中国に渡り、死亡した。遺体はインドで今でも安置されているそうだ。10年に一度、一般公開され、ちょうど今年(2014年)の12月に一般公開されるようですよ。
松平容保のその後
徳川慶喜のその後
カメラにはまったそうだ。当時、345円。今の価値に換算すると100万円するカメラ。徳川慶喜が撮影した写真は、汽車が橋の上を走ってくる瞬間をカメラで撮影したのが残っています。
勝海舟のその後
江戸城、無血開城を行ったその後、天璋院 篤姫(宮崎あおいが演じていた人)とデートをかさねていたそうです。勝海舟の談話をまとめた本「海舟餘波」に天璋院のお供でいろんなところに行ったと書かれています。
クラーク博士のその後
「少年よ、大志を抱け」の名言で有名なクラーク博士のその後は、アメリカに帰国後、詐欺罪で訴えられました!まず、アメリカに帰国して、大学を作るが失敗。次に鉱山会社を作るが倒産し、出資者に訴えられました。